本稿について
Robert SamsのA Note on Cryptocurrency Stabilisation: Seigniorage Sharesを読みます。
今回の範囲は「Decentralised Monetary Policy」です。原文はこちらになります。
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今回のまとめ
- どんな金融体制にも金融政策があるが、Bitcoinの金融体制は供給がBitcoin価格に一切影響されないという点で商品貨幣の金融政策よりも劣っている。
- コインとシェアのデュアルモデルは、シェアが中央銀行の資産のような機能を果たすために一切の中央集権性を排しながら中央銀行と法定通貨が行うような供給調整機能を持たせることができる。
※以下、今回まとめた範囲の和訳になりますので詳細をご覧になりたい方は読み進めてください。
非中央集権型の金融政策(Decentralised Monetary Policy)
中央銀行業の評論家は(私もその一人だが)、その集権的で裁量制の金融政策の制度的失敗に関する批評をいやというくらい頻繁に金融政策のコンセプトまさにそのものにまで拡張している。
どんな金融体制でも金融政策がある。金本位制のような商品貨幣レジームは当該商品の新たな供給を地中から採掘するのにかかるコストで決まる金融政策を持つ。これには人間の一存ではないルールで動く金融政策であるという利点がある。しかし、供給関数を固定してしまうことにより、採掘する金にかかる任意の加工費に対する大きな欠点も存在する。つまりマネーの購買力を安定化するという目標に対して特別うまく作用するわけではないかもしれないのだ。Bitcoinにも金融政策はあるが、それはほぼ間違いなく商品貨幣の金融政策よりも劣っている。その供給関数がBitcoin価格の影響を全く受けない3からである。
コインとシェアによるデュアルモデルは、中央集権性や中央銀行なしで法定通貨と中央銀行が果たす機能性をある程度まで体現する4。部分準備銀行制度のある経済圏での金融政策の波及に関する複雑性はひとまず隅に置いておくとして、中央銀行業務の本質はマネーの供給調整のためにそのバランスシートを使うすることだ。マネーの供給は新規発行のマネーで資産を購入することで増大する。資産を売却すればマネー供給の一部が失われ、減少する。中央銀行業並びにマネー供給ではなく利率を目標とする現在の方式を取り巻く不可思議なことの全ては、これが中央銀行が行っていることの本質であるということだ。
このようにして中央銀行は際限なくマネー供給を増やすことができる。しかしマネー供給を収縮させる能力は所有している資産の価値に制限されている。シニョリッジシェアは中央銀行のバランスシートのそばにある資産のようなものだ。シェアの時価総額はいつでもどれだけコイン供給を減らすことができるかについて上限を定める。
- 脚注3:限界点、ネットワークのハッシュパワーの非線形な増加がブロック間隔を平均10分未満にしてしまう場合を除く。
- 脚注4:もっと言うと中央銀行を"銀行"ということは時代遅れでその歴史的な進化に向けられた敬意である。現在の不換紙幣世界において中央銀行はそのバランスシートの"信頼性が"名ばかりの信頼性でしかない唯一の機関であるという点でユニークである。定義上、不換紙幣は何かに対する請求権ではない。そして国法銀行の紙幣(銀行券)の所有者は中央銀行の債権者ではない。これは商業銀行の預金の所有者が債権者であるのとは異なる。
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